BLOG

2023/01/03 09:12

目次

伝説のシューズデザイナー。その光と影。
世界的デザイナー、闇への歩み。
独り、孤独に、逝きました。
義兄が逝く間際の、私との会話。
義兄がなくなった時、海外工場の反応
最後に、


伝説のシューズデザイナー。
その光と影。


ファッション業界の方で、亡き田中清司と仕事をした方は多いです。
当時の田中清司、タナカユニバーサル社は世界中で大ヒットするシューズブランドを展開していましたので、日本でも多くのメーカーと別注(コラボレーション)商品を作っていましたし、有名なセレクトショップに商品がたくさんありました。

田中清司、タナカユニバーサル社が製造するシューズだけでも、年間約10万足。
その他に、自社の展示会、世界中の展示会への出展、海外工場や海外ブランドとのミーティング、シューズの素材を探す為の展示会や現地への訪問などなど。
私が出会った頃の義兄は、1年のうち3ヶ月ほどしか日本にいなかったです。

この頃、昔から悩んでいた時差の苦しみが、毎日酷くなっていく。
対処する方法は、睡眠薬しかなかった。
海外の滞在が多い以上、睡眠薬も海外の強いものばかりを服用していた。

昔から田中清司をよく知っている方はご存知かと思いますが、義兄は何というか、かなりの天才肌でした。
常識的な枠は持ち合わせておらず、話を誇張することがたくさんありました。
しかし、デザインや色彩や素材を表現する言葉は極めて心に響き、義兄の経験談は面白く、初めて聞く話ばかりで、鮮明に記憶に残りました。



世界的デザイナー、闇への歩み。


LUDWIG REITER(ルーディックライター)や、maccheronian(マカロニアン)、CEBO(セボ)、TSTが世界中のファッション業界でトップを保っていた頃、タナカユニバーサル社を支えてきた実の母が亡くなり、ここからタナカユニバーサル社と田中清司の凋落が始まります。

続きはこちらから